当時の状況をよく知る、ボブ・ウーラーによるエプスタイン評を聞いてみよう。
「ブライアンは彼らの守り神であり、保護者だった。でもロンドンで契約を獲得してくるまでの彼は、やたらに約束ばかりちらつかせる、そこいらいのマネージャーと変わりなかった。幻滅し始めて、連中の親たちも、なぜ、いつまでたっても仕事の話がこないのか不満をもらすようになっていたよ」
エプスタインは驚くほどの大金持ちというわけではなかったが、ビートルズの家族たちからすれば、富豪とさえ言えた。
その経済的に有利な立場にあることで、ビートルズが彼に従ったという要素は確かにあっただろう。
しかし、ビートルズはいつまでもこれといった仕事がない状況に我慢できるはずもなかった。
エプスタインは、結果を見せなくてはならなかった。
彼は何度となくロンドンに行き、そのたびに意気消沈して帰った。
それは傍目にも気の毒なくらいだったという。
家族やNEMSの従業員たちに対しても、気まずい思いをしていたはずである。
さらに、ビートルズはリバプールで、ばりばりの不良を含めた若者たちを相手に演奏活動をしてきたロックグループだったのだ。
ビートルズは、エプスタインのいないところで、彼のことをネタにして嘲っていた。
エプスタインの上品な物腰、語り口も、彼らには絶好のからかいの対象となった。
エプスタインもそれには気づいていたようだが、だからといってそれに対して抗議したというようなことはなかったという。
エプスタインはビートルズで成功するためなら、プライドも捨てられた。
必ず、成功する道はあるはずだと信じていたからである。
ジョン・レノンがわずか40歳で凶弾に倒れ、伝説化した今となっては、当時の彼らがどれほどワルだったかを想像できない人もいるようだ。
当時をジョン自身が振り返っている。
「学校にいた頃は、僕は飲むと暴力的になってね。その頃は美術学校での友達がボディーガードみたいな役をかってくれていた。僕がだれかと言い争いを始めると、うまく僕をなだめてやめさせてくれた。それでも、電話ボックスのガラスを殴って割ったことを覚えているよ」
世話になったはずのボブ・ウーラーに対しても暴力を振るっている。
「奴が僕をホモだってほのめかしたからなんだけど、僕は猛烈に酔っぱらってアイツを殴った。あの頃は本当に誰かを殺しかねなかった」
このときはポール21歳のときの誕生日だというから、ジョンは23歳。もう、ある程度有名になってきた頃のことである。
ジョンは、満ち足りないものがあったのか“ひどく自己破壊的”な生活が続いていたのである。
そんな彼らのジョークは、辛辣をきわめた。
“デッドパン deadpan”によるジョークで、エプスタインを困らせていたわけである。
しかし、エプスタインは、それを刺激にして、マネージャー業に取り組んだといた節もある。
エプスタインとビートルズには、ある不思議な信頼関係が成立していた。
エプスタインは、ビートルズのライブには必ず立ち合い、あのキャバーン・クラブでのコンサートにも、「連中にはナイショだよ」といいながら姿を見せていた。
ビートルズはビートルズで、楽屋入りして、機材のセッティングをしながら、必ずこう聞いたという。
「エッピー(エプスタイン)は来てる?彼は来るって言ってた?」
地道なエプスタインの戦略は、次第にビートルズのギャラを上げていった。
相手が唖然とするような高額な要求を当然のようにする。
それでは高過ぎると、低めの額を提示されても、受けなかった。
すでにドイツでの実績があったビートルズは、このエプスタインの手腕により、当時としては相当高額な契約を結ぶことに成功した。
1962年4月13日から5月31日までの7週間、ハンブルグでの演奏契約は、“巨額”といってもいい取り引きとなった。
彼は、ビートルズが特別なものであるというイメージを創り出していく。
それまで、汽車やフェリーで行っていたドイツへは、飛行機で行くことにした。
ギャラも上がり、飛行機での旅…。
ビートルズがやる気になるのは明らかだった。
ブライアンは、ロンドンのオックスフォード・ストリートのHMVレコード店を訪れた。
彼は、これまでのようにビートルズがバックバンドとして演奏している「マイボニー」を聞かせるだけでは、効果がないことにやっと気づいたようだった。
デッカのオーディションを受けたときに録音したテープを、アセテート盤のレコードにコピーしてもらうために、やってきたのである。
担当者のロバート・ボーストとは知り合いだった。
ボーストは、所属するEMIですでにビートルズが断られたことを知らなかった。それで彼は、部下の録音技師ジム・フォイに、これを聞いてみて、もしよかったらレコード部門の人間にあたってくれと頼むのである。
ジム・フォイは、いい耳を持っていた。
彼はテープを聞いて、これは素晴らしいと感じたのである。
ほとんど無名のグループに対して、力になってくれそうな人物は……。
そう考えた彼は、同じHMVの4階にオフィスを持つシド・コールマンに電話をする。
エプスタインは、すぐにテープを持参し、コールマンにビートルズを聞いてもらう。
コールマンは、EMIの音楽出版部門の責任者だった。
「これをもう、誰かのところへ持っていきましたか?」
「あらゆるところへね!!でも、まだどうにもなりません」
エプスタインが正直に答えると、コールマンはこう切り出した。
「ジョージ・マーティンはどうです?」
「ジョージ・マーティンって誰です?」
ビートルズが世に出るに際し、絶大な力を発揮することになるあのジョージ・マーティンの名前を初めて耳にした瞬間である。
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