信じられない、信じたくない光景…

 

 

 ジョンとヨーコの出逢いについては、いろいろ語られているが、ピート・ショットンのことは書かれていない。
 少なくとも、私の知る限りでは、インディカ・ギャラリーでの2人の出逢いには、彼の存在を感じることさえできない。
 その後になっても、ジョンとヨーコは、2人が出会った時、ピートの存在などなかったかのように語っている。

 しかし、PAとしてのピート・ショットンは、いつもジョンのそばにいたのだ。
 それがたとえ、“ピス・アーティスト”であろうとなんであろうと…。

 ピートのヨーコに対する第一印象は、“36歳の日本女性アーティスト”という以外になにもなかった。
 とりたてて強い印象も受けなかったようなのである。

 「彼女は、自分の展覧会に出資してくれる大金持ちの若い男に興味をもったんだって、そう思ったよ」

 そして、ピートの言葉によれば、このあと彼はジョンと共に、ヨーコを彼女のアパートまで送っている。

 これは、あまり記されていないことではなかろうか。
 しかし、だからといって、2人がすぐに燃え上がったというわけでもなかった。

 「僕が運転して、後ろにジョンとヨーコが乗った。僕が覚えている限り、2人はそのとき、一言も口をきかなかったと思うよ」

 まあ、お互いに興味を抱きつつも、様子を窺っているというところであろうか…。



 さて、再び、ジョンが、シンシアの不在をいいことに、ヨーコをタクシーで呼び寄せた翌朝である…。

 ジョンの様子で、ピートはいつもと違うなと感じたという。
 ジョンの“遊び”に慣れっこになっていたピートが、すぐ感じた違いはなんだったのだろう。

 ジョンは、ピートにこれから時間があるかと尋ねる。
 ピートは、てっきりアップルに出かけるのかと思ったのだが、違った。
 ジョンは、「家を探してほしい」といったのである。

 「家ならあるじゃないかって言うと、『別の家だよ。ヨーコと一緒に住む家がほしい』っていうんだ」

 なるほど、いつもとは違うと感じたはずだ。

 「ずっと待ち望んでいたものにようやく、めぐり会えた。もう何もかもどうでもいい。ビートルズも、金も、どうだっていい。たとえテントしかなくも、僕はヨーコと一緒に暮らすって、ジョンは言ったんだ」

 「それから、ジョンは2階に戻って行った。1分でもヨーコと離れていたくないって言ってね…」

 それでもピートは、この時点でのジョンのことをとやかく言うわけではない。
 その後も、ヨーコが自宅とジョンの住まいのケンウッドを行き来するの手伝うのだ。
 車の中で、このジョンの“親友”は、ビートルズのメンバーのこと、そしてアップルがどんなふうな会社であるのかといったことを説明している。

 しかし、いかに“親友”といえども、こんなことを頼まれた時は、断った。

 「ジョンにイタリアに行ってほしいと頼まれた。シンシアがそこにいるから、僕が新しい恋に落ちたということを伝えてくれって。僕は、断ったよ。シンシアとは仲のいい友だちだったからね」

 ピートの代わりにイタリアに行ったのは、なんとなんと…あの、アレックスなのである。
 いやいやいや…、これは、やっぱり…。


 やがてシンシアが帰宅する…。
 そのときも、ピートは一部始終を目撃している。

 「彼女が帰宅したとき、ジョンとヨーコは一緒に朝食をとっていた。カーテンは閉めたままで、周りは汚れた皿がいっぱい。おまけにヨーコはシンシアのネグリジェを着ていたのさ」

 信じられない光景だ。
 信じたくもない。しかし、すべては事実なのだ。

 ジョンは、シンシアに、「やあ」と一言、声をかける。
 そして、すべては終わった。


 こんな事実を知ったあとでは、後にジョンの語るlove&pieceも、随分、イメージが違ってしまう。
 そんなふうに感じるのは私だけだろうか。

 その後も、ピートには、ジョンとヨーコのための家探しという仕事が待っていた。
 さんざん駆けずり回って、これだという家を探し出す。
 画廊のあるゴシック様式で、ジョンなら絶対に気に入るはずのアンティークのオルガンも置いてあった。
 2人をその家に案内すると、思ったとおり、ジョンは気に入った。

 「ところが、翌日になって、やっぱりヨーコは気に入らないらしいって言うんだよ。僕は頭にきて怒鳴ったよ。それなら自分たちで家を探せよ。不動産屋を回って、チラシを集めて、物件を見て回ればいいじゃないかってね」

 そうだ、そうだ!!
 おっと…。失礼いたしました。ちょっとピートに感情移入し過ぎ…。(-_-;)


 ビートルズの知人であるロバート・フレイザーは、ロバート・フレイザー・ギャラリーを主催していた。彼はヘロインに手を出して、刑務所生活を体験している。
 ポールはジャンキーにはならなかったが、ジョンは彼を通してヘロインに溺れた。
 もっとも当人は、多くの体験者のようにそれを否定している。
 その根拠となるのは注射をしなかったからだというのだが、鼻から吸い込んでも、体に現れる症状に変わりがあるはずはない。

 「僕はどんなクスリも注射したことがない。“痛み”があるときは、2人で少しだけ吸ったことはあるけどね」

 2人とはいうのは、ヨーコと2人ということである。

 「僕もヨーコもひどいことを言われていた。僕らがヘロインをやったのは、ビートルズや他の連中が僕らをひどい目に遭わせていたから、その状態から逃げるためだった」

 逃げたわけである。

 ヨーコは、ロンドンに来た当初、ロバート・フレイザーに、自分の個展を開いてくれるように頼んでいる。
 このとき断ったロバートは、ジョンに個展を開かないかと話をもちかけ、結婚したばかりのジョンはヨーコと一緒の個展を開く。事実上これは、ヨーコのアイディアそのもので、彼女の個展といってよかった。
 ヨーコはジョンと一緒になることによって、かつて断られたロバート・フレイザー・ギャラリーでの個展を開くことが可能になったわけである。

 ロバートは、当時、ポールにこう言っていたという。

 「あれはかなり厚かましい女だよ。有名になりたいというね。彼女なりのキャリアがあるわけさ」








リンゴ・スターのつぶやき…

 ビートルズが設立した会社「アップル」で、唯一、それらしい成績を上げていたのは、やはりレコード部門だった。

 「ヘイ・ジュード」、「悲しき天使」は大ヒットしたが、いずれもポール絡みの曲である。
 ジョンは、ヨーコに夢中になり、アップルへの貢献度はほとんどみられない。

 ヨーコは歌手としても世に出ようとしていたことがあった。アイランド・レコードにデモ・テープを送っている。
 彼女は、前衛ジャズといったようなところに居場所を定め、それなりに存在理由があるかと思わせるパフォーマンスをしている。自分の声をいろんな具合に発声することで、…金切り声やうめき声…ある種の人々にはそれなりの魅力(?)を感じさせるものがあったのかもしれない。
 シェーンベルクの創り出した「相互の間にのみ関連づけられる12の音による作曲技法」、つまり“12音技法”…ペンデレツキの多数の弦楽器によるトーン・クラスター(密集音塊)の技法や、伝統にとらわれない楽器奏法…といった前衛的な音楽分野があるということを知っているインテリ達には、何らかの効力(?)があったのかもしれないが、一般的にはどうだろう…。
 これは明らかに最初の夫、一柳慧(いちやなぎとし)による影響が大きかったと思われる。彼は、ジョン・ケージに師事して、日本にアメリカの実験的音楽を紹介した人物でもあった。

 ジョンはヨーコにベッタリで、ヨーコが行おうとするアバンギャルドな音楽を一緒に行うのである。
 しかし、シェーンベルクやペンデレツキ、ジョン・ケージ等々の音楽の知識があったにしても、まったくメロディーを無視したような作品が、一般的に受け入れられるはずはなかった。
 ジョンとヨーコはビートルズとはまったく関係なしに、アルバムを発表した。
 しかし、やはりこれは、ジョンが係わっていたからこそ発表することができた作品といって、まず間違いないだろう。
 
 あのジョンが係わっているのだから…。

 従来のビートルズファンの中には、そこになんらかの意味を見いだそうとした者もいたのかもしれない。
 しかし、そういうこと以上に2人が出そうとしたアルバムのジャケット・デザインは多くの人々を戸惑わせた。
 ブロードウェイのミュージカル「ヘアー」で全裸の役者が登場し、それが話題を集めたという時代ではあったが、ジャケット写真はジョンとヨーコの一糸まとわぬ姿だったのだ。
 ついにジョンもおかしくなったか、と考えた者も少なくなかったのである。


 リンゴ・スターもまた、ビートルズとは直接関係のない世界で活動をしていた。
 伊仏合作映画、「キャンディ」への出演もその1つである。
 原作は「イージー・ライダー」などの脚本家としても有名なテリー・サザーン。
 しかし、発禁処分にもなったという作品で、映画も成人向き指定の作品となったのは、残念だった。
 といっても、出演者はすごい。
 マーロン・ブランド、ジェームズ・コバーン、 ウォルター・マッソーといったそうそうたる役者が揃っている。
 リンゴの役は、聖職を志ながらも世俗的な欲望に溺れていくというメキシコ人庭師というもの。

 「あのころでは最高の作品だと思ったんだ。神経質な男の役でね、当時、僕も神経質になっていたからぴったりだったんだよ」

 ビートルズの映画で“役者”としての素質があると認められていたリンゴには、さまざまなオファーがあったようだが、リンゴは自分にそれほど役者として素質があるとは考えていなかったようだ。

 「僕が何も曲を書かないから、映画にでもと思ったんじゃないかな」

 あくまでも控えめなリンゴである。

 「ビートルズのメンバーじゃなかったらこの役はもらえなかったと思うよ」

 話題にはなったが、評論家たちは、マーロン・ブランドやジェームズ・コバーンについて費やすほどの言葉をリンゴに使うことはなかった。

 トールキンの「指輪物語」の映画化という話もあった。
 リンゴにはギャムジー役が考えられたというが、リンゴ自身が乗り気ではなかった。
 その完成までに、あまりにも時間がかかり過ぎるというのだ。
 現在のようなCGなど考えられなかった当時に、「指輪物語」が創られたらどうだったろうという興味もわくが、リンゴはすぐに興味を失うだろうと考えた。

 「完成させるのに1年半はかかるし、途中で飽きてしまうのははっきりしているよ。今すぐ始められることじゃなきゃ。すぐにほかのことに興味が移るんだ」

 アップルについてのリンゴの考え方は、基本的にそれに似ていた。
 ただ、飽きたからといってすぐに投げ出すわけにはいかない。
 しかし、乗り気でなかったことは確かで、こんな発言をしている。

 「必要なときだけアップルにかかわることにした。建物を取り壊すかどうかを決める会議があれば、出席して、『賛成』って手を挙げるよ」

 音楽については、他のメンバーほど派手な活動はしていないが、ジョージやポールのために、進んで参加している。


 ヨーコはポールに代わって、ジョンのパートナーとなったと自負していた。
 ヨーコはリンゴが協力者となってくれるかどうかを確かめようとしていたところがあった。
 そして著作「グレープ・フルーツ」や映像作品「bS」等々でリンゴの関心を引こうとしたが、それらにリンゴはまったく興味を示さなかった。

 ジョンとヨーコのアルバム「トウ・バージンズ」のジャケットは、発売前に「ザ・ニュース・オブ・ザ・ワールド」紙に掲載されてしまう。
 アップル幹部たちは慌てて、なんとか発売中止をしようとジョンを説得したが、無駄だった。
 いくらか延期はされたが、結局は、発売されてしまったのだ。

 このアルバムに対する一般的評価は、リンゴの言葉で推測していただきたい。

 「2人のレコードには、ついていけなかった」(リンゴ)

 しかし、ジョージとポールに比べれば、リンゴは、表向き、ヨーコを理解するような発言をしている。

 「ヨーコには自分の活動があって、5人目のビートルズになろうとしているわけではないということをみんなが理解してくれればいいんだけどね」

 ビートルズが解散したあとも、リンゴはヨーコがその原因ではないと言っていた。
 しかし、ジョンが凶弾に倒れた時には、こうつぶやいた。

 「すべては彼女から始まったんだ」

 この言葉が何を意味するのかは、微妙なところである。
 リンゴをよく知る者によれば、それはジョンの死による混乱が言わせた言葉だろうという。
 しかし、それにしても、突然現れたヨーコに対するリンゴの気持ちが、表向きに述べていた言葉とは違って、かなり複雑なものであったことは間違いなかったと思わせる言葉ではなかろうか…。

 

 

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