悲しき天使・グッドバイ…
ビートルズが、アップルという会社を立ち上げたとき、伝えられた情報は、非常に曖昧なものだった。
会社名は「アップル」。
まあ、名前は悪くないけど…。
そんな印象だった。
しかし、彼らがいったい何をしようとしているのかは、さっぱり伝わって来なかったのである。
単に、自分たちのレーベルのレコード会社をつくるというのでもなさそうだった。
ビートルズのことだから、きっとなにかをやってくれのではないかという期待もあったが、ファンたちは内心、心配していたと思う。
やがて、次に伝えられてきた情報は、「果たして経営は大丈夫なのだろうか」というものだった。
最後は、それぞれが、もういいやという感じで放り出してしまったという、それだけの印象しか残っていない。
やはりビートルズファンは、音楽における新たな展開を期待していたはずである。
いったいあれはなんだったのか…。
要するに、どこからか現れた会計士たちが、よってたかってビートルズを食い物にしてしまった…ということなのではなかろうか。
一方で、ビートルズは漠然と抱いたイメージを追って、自分たちならやれるかも知れないと考えた…。
そんなイメージが残っている。
会計士たちは、節税対策としてビジネスを勧めたわけである。
当時、最高税率は90%。
高額納税者のビートルズは、ある意味で同情されていた。
ジョージ・ハリソンが「タックス・マン」を書いたとき、なるほどと思わなかった関係者はいなかった。
ジョージの歌は皮肉っぽく、なかなか面白い。
If you drive a car I'll tax the street
ドライブするなら、道路に税を
If you try to sit I'll tax your seat
座るのなら、座席に税を
If you get too cold I'll tax the heat
寒いのなら、暖房に税を
If you take a walk I'll tax your feet
歩くのなら、あなたの足に税をかけましょう
'Cause I'm the taxman yeah I'm the taxman
手前どもは税務署員ですから
しかし、彼らがより多くの収入を得ようとしたと考えるのは間違いである。
彼らは、埋もれた才能を育てるというようなことが最大の望みだったと思われるのだ。
自分たちのように、生まれ持った才能と個性だけで、勝負しようとしている人たちにチャンスを与えようとした…。
メリー・ホプキンは、テレビのオーディション番組に出ていたまったくの素人だった。
ポールは、たまたまモデルのツィッギーと話をしているときに、テレビのスカウト番組に出場していたこのウェールズの17歳の女の子のことを教えてもらったのである。
ツィッギーは、マネージャーがエプスタインのとった方法を忠実に実行することによって、成功したモデルと言われた。
彼女は来日し、大騒ぎされたけれど、結局、なんだかよくわからなかった。
要するに、とてつもなく巨大なイメージを売り込むことに、彼女のマネージャーは成功したということだったのだろう。
なにしろ彼女はモデルなのに170センチなかったはずである。
“ミニの女王”という徹底したイメージ戦略で成功した女性…。
のちに「ブルース・ブラザーズ」(ジョン・ベルーシ、ダン・エイクロイド主演)で久しぶりに女優として見たときには、すぐには誰かわからなかった。
来日したときの印象では、あ、こりゃ、長くはないなと思ったものだった。
しかし、彼女はその後も芸能界で活躍していたわけで…。
おっと…、メリー・ホプキンである。(すぐに、話がとっ散らかる…)
ツィッギーは、ポールに、テレビで見た女の子は絶対有名になると語ったのである。
ポールは、次の週の放送を早速見た。
「これはいけるぞ、アップルで契約したら、面白いレコードができるかもしれないと思ったんだ」
周りにいる何人もの友人が彼女のことを噂しているのを耳にしたポールは、早速、彼女に連絡を取る。
「美しいウェールズ的な声が受話器の向こうに聴こえると、僕はこう言った。『アップルレコードにきて、レコーディングする気はない?』『母と話してもらえますか?』彼女がそういい、お母さんと話した。その後、2回電話して、その週のうちにメリーはお母さんと一緒にロンドンにやってきた」
「お昼を食べてから、ディック・ジェームスのスタジオで聴いたが、やはり素晴らしかった。心を込めて歌詞を歌っているのが感動的だった」
たった1つ、気になったのは、ジョーン・バエズ的なところだったという。
彼女の活躍は比較的短期間だったが、彼女はやはりフォークソングを歌いたかったらしいのだ。
やがてポールのほうが、手を引き、彼女は、そのフォーク・アルバムをプロデュースしたトニー・ヴィスコンティと結婚し、芸能界から引退し、家庭に入るのである。
ポールは彼女のために「悲しき天使」という曲を用意した。
最初聴いたとき、これはポールの作ではないかと思った。
しかし、これはポールが、たまたまどこかで聞きつけて、いつまでも頭に残っていたという曲だった。
プロデューサーとして、誰かにこの曲をレコーディングさせたいと考えたポールは、ムーディー・ブルース、それからドノバンに話を持ちかけている。
ドノバンは曲を気に入ったが、レコーディングはしなかった。自分には向かないと考えたのだろう…。
そういう経過のあった曲をポールは彼女に用意した。
しかし、ポール自身、曲の詳しいことは知らなかったので調べると、ジーン・ラスキンの曲だとわかった。もともとは、ロシアの歌だったらしいが、それをアレンジして歌詞もつけたということだった。
ポールが用意したこの曲は、メリー・ホプキンも気に入った。
アップル最初のヒット曲は「ヘイ・ジュード」だったが、「悲しき天使」は、イギリスでは首位の座を奪い、アメリカでも「ヘイ・ジュード」に続き2位を確保している。
ポールは彼女をエド・サリバンショーにも出すなど、売り込みにもかなり力を入れている。
アルバムづくりに際しては、ジャケット写真をリンダ・イーストマンに依頼した。
「彼女はとてもいい子だったから、仕事は楽しかったよ。あのアルバムは手づくり感覚のとてもいい作品だった」
「悲しき天使」の次に、ポールが用意したのは彼の自作「グッドバイ」だった。
「グッドバイ」もヒットした。
イギリスのチャートでは5位までになっている。日本でもヒットしたはずである。
ポールはこうした路線で彼女を育てていきたかったようだが、やはり彼女自身はフォークが好きだったようで、ポールは彼女から離れることになったわけだった…。
このようにポールは、かなり積極的にアップルで活動をしていた。
ビートルズの中でアップルに積極的でなかったのはジョンだった。
彼は、シンシアと離婚調停中であり、リンゴが持っていたアパートの空き室に移り住んでいた。
彼は、アップルよりも、1人の日本女性に夢中になっていたのである…。
ピートがピス(小便臭い)アーティストになるまで…
突然、ジョンがピートを訪ねたのは理由があった。
当時、アップルの経営を始めようとしていたビートルズの一員として、ジョンは、ピートを誘いにきたのである。
ジョンはいつもの調子で、それが当然のように話をした。
しかし、ピートにしてみれば、大変なことである。
すぐに荷物をまとめてロンドンに来いと言わても、そんな簡単に話が進むはずもない。もとより、このとき、ピートにはアップルが一体なんであるかもわからなかった。
ジョンはいつもこういった調子だから、驚きはしなかったが、だからと言ってすぐに彼の言葉を真に受けるわけにはいかなかった。
彼はヘイリング島で、ごく普通に暮らしている人間だった。
その基本は崩したくない。
収入は多いとはいえなかったが、ちゃんとした、まっとうな生活を送っていたのである。
「ビートルズは、僕とはまったく違う世界に住んでいた。一度、ギリシアの島に移住しようという話があった。友人たち、仲間たちでね。要するにコミューンをつくって共同生活をしようというんだよ。ジョンがいろいろ考えて、実際に島を見に行って、確か土地も買ったんじゃないかな。どこの島だったか忘れたけど。だけど実現しなかった。アップルの話も似たようなことじゃないかと思ったんだ」
ピートは、あとで調べて、今度は本当の話だとわかった。
しかし、断ろうと思った。
そのために、彼はジョンに会いに行く。
しかし、ジョンは不在だった。ロンドンのポールの家だという。
「それでわざわざロンドンまで行ったんだよ。そしたら、みんな集まっていて、ポールが僕に抱きつきながら言ったんだ。参加してくれてうれしいって。ジョンに参加しないよと言ったんだけど、ジョンはウソ言えって。みんなすごく興奮しちゃって、わざわざ僕が出かけたのは参加するからだと信じ込んでいるんだよ。ジョンは、僕が同意しているってみんなに言ってたんだ」
彼らのあまりの歓迎ぶりに、ピートは断れなくなってしまう。
さっぱり要領を得ないピートだったが、ジョンは1つの計画を説明する。
ザ・フールというオランダのファッション・デザイナーたちのグループが参加して、洋服のチェーン店を世界中に展開するというものだった。
アップル・ブティックの1号店をロンドンに開く。
その責任者としてピートが決まっていたのだ。
ピートは洋服のことについてはまったく分からなかったので、そのことを言うと、ジョンは、とにかくまず、やってみろというのだった。
ピートの知らないうちに、話は決まっていたのである。
ピートは、ウールトンでずっと店をやっていた母親にスーパーの管理を頼み、ひとまず、ロンドンに滞在する。妻と子どももいずれロンドンに住まわせることになるだろう。
しかし、実際、準備が進み、話が具体的になってくると、そんな簡単なことではないということが分かってくる。
3週間後、開店準備を進めていたピートは役員会に出席を求められる。
ところが、役員であるはずのビートルズは誰も出席していなかった。
「スーツを着た弁護士や会計士が座っていたよ。何の話をしているのかまったくわからなかった。そのうちビートルズのバースデイ・カードの企画が出た。メンバーのイラスト入りのね。みんなはそれはいいアイディアだと言って賛成した。そのあとは、またバラバラにおしゃべりしているんだ。さっぱりわからないと言うと、役員の1人が解散を宣言しておしまいだ。業務マネージャーのアリスティア・テイラーがグラスにウイスキーを注いでくれた。完全に責任を押しつけられた感じだった」
ピートは役員会に出席を求められたのにもかかわらず、その待遇はほかの役員とはかなり違っていた。
ピートが担当したのはアップルの小売部門で、実際に忙しく働かねばならなかったが、その収入は収益の1%という契約で、事実上、年に2500ポンドしかなかった。家族を呼ぶつもりでいたが、ロンドンの借家は家賃が週に20ポンドもした。
これでは、まったく生活の見通しが立たない。
しかも、責任を任されていたはずなのに、ポールが来たらポールの、ジョンがきたらジョンの、それぞれの指示に従わないわけにはいかなかった。
店内の配置について、ポールがこういうふうにしてくれといわれれば、そのようにする。しかし、あとでジョンがやってきて、なんだってこんなふうにしているんだと言うわけだ…。
それでも、ピートは獅子奮迅の努力をしていたというべきだろう。
彼もまた、当時のビートルズと同じように、長髪にし、ヒゲをたくわえた。
1日15時間働いても、ブティック開店は1カ月遅れた。
「ビートルズは、流行の最先端の人間が最先端のものを買いに来るという店にしたかったんだ。店のものはなんでもかんでも売物にするんだ。お客が天井の証明やディスプレイ棚が気に入れば、それさえ売るんだ。そんなものまで在庫を揃えるなんて考えられないだろう?」
しかし、それだけではなかった。
どういうわけか、アップルはやたらと人を雇ったのである。
なんだか、よくわからない人間が採用されていた。店員も当時で言うところのヒッピーのような連中ばかりだった。
アップルはクリスマス前には大盛況となり、商品はどんどん捌(さば)けていった。
「並べるそばから商品がなくなった。だけど問題は現金が入らなかったことさ。店員はみんなヒッピーだったから、万引きを捕まえるなんてことはしなかった。気に入ったものを盗んでいく連中を見逃しても良心がとがめないんだ」
アップルは、理想を追うあまり、現実をまったく無視して経営をしていた。
アップル・レコード設立時の広告はこうだった。
“才能のある男がいました。彼はテープ・レコーダーに歌を吹き込んでロンドンのベイカーストリート○○番地アップルミュージックに送りました。あなたも同じことをして下さい。彼は今、高級車ベントレーに乗っています”
「ビートルズ以外の誰もが想像したとおりの結果になったよ。世界中から何万本っていうテープが送られてきた。小説や映画のシナリオ、詩や絵まで送られてきた。直接持ってくる場合もあった。もう大混乱だよ。応募作品をどう整理するかなんて、アップルの連中はだーれも考えなかった。結局、山積みにされた挙げ句、捨てられてしまったんだ」
ピートはさすがにうんざりしてしまった。
7カ月目にジョンに辞めると伝えた。
責任者の後任が決まったが、まもなくアップル・ブティックは閉店となる。
結局、8カ月で20万ポンドの赤字を出しただけの話だった。
ビートルズは閉店の前夜、ガールフレンドたちと共に店に入り、在庫品から気に入ったものを持ち帰った。
経営について何も知らないビートルズは、いいように利用されていただけだったのではなかろうか…。
それでも、ピートは、まだジョンとは切れていなかった。
なぜなら、ピートがアップル・ブティックを辞めると告げた時、ジョンはピートに自分のPA(personal assistant「個人秘書」)をやらないかと言ったのである。
「PA?なんだいそりゃ?」
「ピス(小便臭い)アーティストのことだよ」
要するにジョンは、ピートにいてほしかったのである。
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