ショック!ショック!!ショック!

 

 マハリシの目が離れると、ビートルズは、途端に息抜きをしたくなった。
 ドアには「Do not disturb」の札の代わりに、「瞑想中」という紙を張り付ける。
 そして彼らがやることといったら、ポーカーをしながら、こっそり調達してきた果実酒を飲むことであった。
 世俗的な楽しみや所有欲は捨てなくていいというのが、マハリシが多くの西欧人に受け入れられた最大の理由だったかも知れない。

 リンゴとモーリンにはこの地での環境がまったく合わなかった。
 真剣に学んでいたのは事実だが、いつの間にか、そうした意識が薄れていた。
 暑さが耐えられなかった。
 お香の漂う静寂な環境も、それを払拭することはできない。
 子どもの頃、長期間病気で入院していたリンゴには、香辛料のたっぷり使われた料理も刺激が強過ぎた。彼は念のためにスーツケース一杯、ベイクド・ビーンズの缶詰を詰め込んできたのだが…。
 そして、どこにでもいるハエにも悩まされた。
 ちょっとしたきっかけで、すべてはガラガラと崩れていく。
 子どもたちに会いたくてたまらない…。

  「もちろん説教みたいなものはいつもあったけども、ほとんどは休暇旅行みたいなものだった」

 意を決した2人は、マハリシに帰国したい旨、告げた。
 マハリシはかなりショックだったらしく、しきりに2人を引き留めようとした。

  「どこか別の場所を訪ねて、また戻ってくればいいじゃないかと勧められたけど、僕たちはとにかく家に帰りたかった。誰がなんと言おうとね」

 リンゴとモーリンは、ジョン、ポール、ジョージに娯楽用に映画のフィルムを送ると約束し、車でニューデリーへ行き、無事に飛行機で帰国した。

 マスコミが待ち受けていたのは言うまでもない。
 すでにマハリシにはよくない噂があったのである。
 しかし、他の3人が残っているというのに、リンゴがそのことでとやかくいうはずもなかった。

  「みんなは僕が失望したから戻ったと思うだろうけど、そんなことはない。僕は楽しく過ごしていた。今でも、毎日、朝晩30分ずつ瞑想しているし、それで以前よりはましな人間になっていると思う。今までになくリラックスした状態でいられる。仕事で緊張が続いたら、精神的に弱っておかしな感じになるけど、朝晩、ほんの少し、瞑想するだけでくつろぐことが出来る。自分のことが見えてくるんだ。世界中の人々が瞑想を始めたら、きっと世界は今より幸福になるはずだと思うよ」

 実に、大人の回答である。
 数週間後に、リンゴは、瞑想の習慣も少しずつ実行できないときがあると答えるのだから。

  「今も瞑想しているけど、朝寝坊したり、遠くへ出かけた翌日は、さぼることもあるよ」


 リンゴとモーリンは、リンケシュに2週間滞在しただけであった。
 それだけの期間では、習慣になることが難しいというのは事実だろう。

 リンゴが去った後、ポールがリンケシュを去ることになる。
 彼の場合は、リンゴとは違って自分なりに満足したからだという。

  「4〜5週間過ぎて、自分で割り当てた期間は完了したと思ったんで帰国した。素晴らしい体験をしたし、瞑想はこれからも続ければいいんだから、十分に価値ある体験だった」


 ジョージとパティ、ジョンとシンシアは、もっと真剣に瞑想体験を続けていた。
 彼らはコース終了まで、この地に留まるつもりであった。

 この地に同道したアレックス・マーダムはビートルズ、とりわけジョンと一緒にいたいという人物だった。彼は、ビートルズのいるところ“どこにでも顔を出す男”として知られていた。あのテレビ用の映画「マジカル・ミステリー・ツアー」にも出演している。
 彼は、もともと瞑想などにさしたる興味はなかったようで、この瞑想の日々にウンザリしていた。
 そこで、彼は手に入れた情報をもとに、マハリシが低俗な陰謀を企てていたということをジョンとジョージに告げるのである。

 ジョンはすっかり言いくるめられ(?)、マハリシに詰め寄る。
 無実を告げようとする声に耳を貸さず、ジョンは出て行くと宣言するのだ。
 シンシアは、このことに失望した。
 後に彼女は、この一件について自伝に記している。

  「アレックスは親しくなった瞑想グループの女性たちと一緒に、私たちのオープンになった心に疑惑のタネをまいた。マハリシが特定の女性と無分別な接触をもったとか、彼はとんでもない悪人だという話をたくさん聴かされた。すべては何の証拠もない情報だった。アレックスがともかくあの場所から出たがっていることは明らかだった。そして、ビートルズも一緒に連れ出したかったのだ」

 ジョンとジョージは混乱した。アレックスの言葉を信じるべきか、マハリシへの信仰を貫くべきか…。

 一説によれば、長期間の瞑想体験をしているときには、周囲からの提言を受け入れやすい状態になるとも言う。
 それが正しいかどうかは別にしても、それまで世俗的な情報がほぼ遮断されていたときに、世界中で一等信じていたはずの人物について、それを根底から否定するような情報が入ったのである。
 くつろぐどころではなかった。
 アレックスは夜通し、彼らに生じた疑惑を大きくすることに努め、マハリシには弁明の機会がなかった。

 再びシンシアの自伝に戻ろう。

  「混乱と非難の後に、怒りと攻撃心が生まれた。マハリシは弁護する機会も与えられず、告発され、判決を受けた。翌朝、誰も目覚めないうちから、アレックスは空港へ向かうタクシーを手配した。すべては素早く進められ、私たちの手に負えなくなっていた」

 ジョンとジョージは、デリーのホテルにチェックインして話し合っていた。

  「ビートルズは間違いをおかしましたと言うべきだろうか。マハリシはホンモノでなかったと」

 マハリシはなにがなにやらわからなかった。

  「あなたが、それほど宇宙意識に目覚めているのなら、僕らが去る理由も分かるでしょう」

 ジョンはそれだけ言って、背を向けたのだという。

 ポールはこんなにも早くみんなが帰ったことに驚いた。
 そして憤慨しているジョンから、その理由を聴かされても、ポールはまったくショックを受けなかった。
 むしろ、憤慨している彼らにショックを受けたと語っているのだ。

  「だって、彼は自分が神であるなんて言ったことはないだろう?『私を神様扱いしないでくれ。私は瞑想を教える者にすぎないのだから』って。彼はそれ以上の存在だと発言したことはないよ。女性に触れちゃいけないなんて取り決めも何もないだろう?彼は僕らに貞節を誓ったわけじゃない。だから、僕はそれだけがセンターを離れる理由だとは思えなかった」

 「『ふーん。そういうことか』なんて答えたけど、僕に言わせれば、誰が誰に言い寄ろうが全然問題ないけどなと思っていた。きっと彼らは、普通の人間以上の人物を求めて、マハリシが神でなかったと発見したんだろうね。でも、僕は、瞑想を教えている人と接しているつもりだったんだ」

 ポールの言葉も、十分説得力があるのではなかろうか…。








 『青い影』を聴いたミステリーな夜…

 1967年。
 ビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハート・クラブ・バンド」が発表された年である。
 もちろん、この年、私はこのアルバムがベストだと思った。
 あとはドアーズの「ハートに火をつけて」、ジミ・ヘンドリックスの「紫の煙」といったところが記憶に残る。
 そして、一般的におそらく一番耳になじんだ曲ではないかと思われるものがあった。
 プロコル・ハルムの「青い影」である。
 当時の私は、ヒットしても不思議な曲ではないけれど、飛び抜けて衝撃的な曲というほどのこともないという印象を持っていた。
 しかし、この曲が衝撃的だったという人もいたのである。

 13歳の荒井由美、のちの松任谷由美がそうだった。
 彼女が、いわゆるポピュラーミュージックに興味を持ったのは、この曲を聴いたからだという。
 13歳としては、そうなのかという気がしないでもない。
 私は、ずっとそういうふうに思っていた。
 プロコル・ハルムというグループのイメージはほとんど描けない。
 一発屋に過ぎないのではないかという気もした。
 あまりにも最初の曲が良過ぎると、その後の評価は厳しくなってしまうという代表例だったのかも知れない。


  「あの夜、初めて『青い影』を聴いた。船酔いした気分を歌ったもので、歌詞がとても不思議で、詩的で、バッハがテーマになっていたけど、僕等は聴いたこともない曲だった。なんてすごいレコードだって、ぶったまげたよ。画期的だった」

 ポール・マッカートニーの言葉である。
 これは実に意外だった。あのポールが本当に驚いたのかという気が、今でもする。

  「これは誰だろうってみんなで話したよ。僕らはついに『今のレコードは誰?』とブースまで訊きに行った。『プロコル・ハルム※の<青い影>だよ』と言われて、『プロコルなに?ラテン語かなにかかい?』っていってね。この名前は一体何の意味なんだろうとかって、一晩中盛り上がったよ。ミステリーな夜だった」

 ※プロコル・ハルム(PROCOL HARUM)は男性5人組グループ。グループ名は、シャム猫につけられた名前からとったとか。

 その「ミステリーな夜」とは、ポールがリンダ・イーストマンと出会った夜であった。

 ポールは長い間、ジェーン・アッシャーとつき合っていた。2人はいつも一緒で、当然、結婚するものだと思われていたが、意外にも彼らの近くにいた人たちは、必ずしもそういうふうには見ていなかった。

 ビートルズとその仲間たちにすると、ジェーンはどこか浮いた存在だったらしい。
 彼女が来ると空気が変わったのだという。

 当時、ミック・ジャガーの恋人でもあったマリアンヌ・フェイスフルが語っている。

  「ジェーンとポールが仲よくしていた記憶はないわ。ほとんど演技という気がしたの。私、他人の家庭生活を観察するのが好きなのよ。ジェーンとポールの間の空気はいつも張りつめていたいたわ」

  「カベンディッシュ・アベニューの家で、ジェーンが窓を開けたがっているのに、ポールは閉めたがっているという…その晩のことははっきり覚えている。ジョー・オートンの劇みたいだった。ジェーンが窓を開けに立つたびにポールが閉めに行く。それが一晩中続いたんだから。それも無言のままでよ。最高だったわ。それから間もなくして、2人は別れたの。でも、私には予想がついていたわ」

 どういう状況だったのだろう。
 2人の「無言劇」を一晩中、観ていたマリアンヌ・フェイスフルという女性も、なかなか不思議な女性ではある。(歌手としては「アズ・ティアーズ・ゴー・バイ」をヒットさせ、「あの胸にもういちど」という映画でアラン・ドロンとの共演もあった。まだ現役の歌手である)


 リンダ本人がが当時のことを語っている。

  「ポールとはバック・オネイルズで初めて会ったの。ニューヨークでよく撮影をしていた関係で、アニマルズとは昔から仲がよかったのよ。それで、私がロンドンに来たからというんでバック・オネイルズのジョージ・フェイムのライブに連れて行ってくれたのよ」

  「そこでポールと私が出会ったの。アニマルズと帰る時間になった時に、ポールが『僕等はほかのクラブへ行くんだけど、君も来ない?』って訊いてくれたの。あの夜、テーブルを囲んだメンバー全員が、初めて、<青い影>を耳にしたのよ。あのレコードを聴いた途端、みんなこれはすごいと思ったわね。その時、私たちは出逢ったの」

 その後、2人は「サージェント・ペパー…」の発表記念パーティーで再会する。
 彼女は、すでにいろいろなバンドの写真を撮っていたのである。
 自分でNEMSに出かけ、エプスタインと写真撮影の交渉をしていた。
 エプスタインは、彼女の持参した写真を非常に気に入り、何枚か買いたいと語った。リンダは大喜びで、それをすぐにプレゼントしたのだった。
 それやこれやで、エプスタインからビートルズの撮影許可をとりつけたというわけである。

 当時、既にジョンとポールの仲には亀裂が入っていたと伝えられていたが、リンダの撮った1枚は、まったくそういう雰囲気のない素晴らしいものだ。

 ジョンとポールは握手をし、ジョンは親指を立て、珍しく大きな口を開けて笑っている。ポールもそれに応えるように、やはり白い歯を見せている。
 リンゴとジョージの2人も実にいい表情なのだ。

 リンダはロンドンで多くの人と出会った。ポールもその1人だったわけである。
 リンダにはニューヨークで4歳の娘が彼女の帰りを待っており、予定の仕事が終わると、すぐに帰国している。


 ポールはジェーンとうまくいかなくなり始めていたが、ジョンはジョンで、また…。

 まあ、人生いろいろあるわけで…。

 

 

 

 

  

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