偶発的な“事故死”……

ジョーアンは、チャペル・ストーリーのエプスタイン邸に着き、そこからサセックスのキングスレー・ヒルに電話した。そこには、まだエプスタインに誘われた客である2人がいるはずだった。
 ジェフリー・エリスとピーター・ブラウンは、エプスタインが急にロンドンに戻った理由を田舎の静けさに飽きてしまったからじゃないかと答えた。
 ワインを飲んでいるにも係わらず彼は自分で運転して行くと言い張ったという。
 ジョーアンは、状況を説明し、ドアを破ろうと思っていると伝えた。
 ピーター・ブラウンは、よしたほうがいいと言った。
 以前、同じようなことがあってドアを破って入り、エプスタインが怒ったことがあったのだ。
 しかし、ジョーアンは同意しなかった。
 彼らは楽観的すぎると思った。彼らは、この微妙な感覚に気づいていない。

 ジョーアンは、ドアを壊す前に医者を呼んでおいたほうがいいと考え、それを電話の向こうのブラウンに伝える。
 ブライアンの主治医とは連絡がとれなかった。
 そこで、近所に住んでいるというブラウンの主治医が呼ばれることになった。
 この間、ずっとキングスレー・ヒルとの電話はつなぎっぱなしにしておいた。

 医師が到着し、アントニオ(執事)とジョーアンの3人は、エプスタインの寝室のドアの前に行った。
 
 ノックする。
 やはり、もの音1つしなかった。

 ジョーアンがドアを破りましょうと言い、男2人は、ドアに体当たりする。
 羽目板張りのせいか、ドアはあっけなく壊れた。
 
 医師が中に入る。
 アントニオがそれに続いた。
 しかし、ジョーアンは入ろうとはしない。

 室内は暗かった。
 エプスタインはベッドの上で窓を見るように横向きに寝ていた。
 パジャマを着ている。
 そばには開封された手紙、「イエロー・サブマリン」の仮台本等があった。
 サイドテーブルにはレモンが入ったコップと、薬瓶が数個。

 医師は言った。

 彼は死んでいると…。



 アリステア・テイラーが遅れて到着した。
 ジョーアンは1階まで駆け降り、玄関を開けて彼を迎え入れる。
 アリステアはタクシーがなかなかつかまらず、遅れてしまったのである。
 遅れた理由を説明しようとした彼は、ジョーアンの顔を見て、事態を把握した。


 家政婦のマリアが泣き叫んでいた。

 「なぜ?なぜなの?」


 マハリシのもとで「瞑想」を学んでいたビートルズのもとに、ピーター・ブラウンから電話がかかる。
 エプスタインの死は当然ながら物凄いショックだった。
 彼らはマハリシからこう言われたという。

 「彼に素晴らしいエネルギーを送ってあげることしかありません。それ以外にできることはないでしょう。瞑想して気分をよくする。それ以外にありません」


 当時、エプスタインの家族から、ビートルズの反応があまりにも冷た過ぎるという発言があったようだが、それにはマハリシの影響も相当あったのは事実のようである。

 ビートルズの中で誰よりも衝撃を受けたのはジョンだった。

 「ブライアンの死は大事件だった。もし瞑想をやっていなければ、この事実を受け止めて活動を続けていくことはもっと困難だったろう。これからは、僕らがマネージャーの役を務め、決断を下さねばならない。これまでも行動の責任はあったけれど、そこにはいつも彼の存在があった。だからショックだった。マハリシの話を聞いてなんとなく落ち着けた気がしているけれど」

 しかし、もっと後には、そのショックがかなり深刻だったこと窺わせる発言をしている。

 「あの時は困ったことになったと思った。僕らは音楽以外にはなんの才能もないと思っていたからね。恐ろしかった。『これで僕らもおしまいだ』…そう思ったよ」

 

 ………………………………………………………………………………………………

 1967年9月8日。

 ロンドンでエプスタインの死についての審問会が開かれた。
 秘書のピーター・ブラウンや家政婦と執事の夫婦等々、そして医師たちも証言している。

 検死解剖報告は、病理学者R・ドナルド・ティア博士によって行われた。



 エプスタインの血液中から168ミリグラムのブロマイドが検出され、ペントバルビトン、アミトリプチリンも確認された。しかし、リブリウム、アルカロイド、アンフェタミン等は存在しなかった。
 ただし、血液中のブロマイド数値はきわめて高く、それはカルブリタールを長期服用することによってのみ起きる状態だった。(カルブリタールには、ペントバルビトンとブロマイドの両方が含まれている)
 ブロマイド値が上がると注意力散漫になり、思考力は低下する。エプスタインはブロマイド中毒寸前の状態にあった。血液中にブロマイドが検出されるには、1回の服用ではなく何週間もかかる。
 死因はカルブリタール中毒によるものとされた。

 エプスタインの主治医は、エプスタインがアジアから返って腺熱にかかったこと、しかしそれは回復に向かっていたこと等を告げた。
 その後、鬱状態になった経緯があるが、それは働きすぎによる疲労が原因だろうと述べた。
 睡眠薬としてカルブリタールを毎晩2錠飲んでいたことも証言した。
 しかし、ブロマイド中毒の問題はまったく考えなかったとも語った。カルブリタールはきわめて安全な睡眠薬で、広く使用されているものだから…。

 ウエストミンスターの検死官が、事故死という見解を述べた。
 ブライアン・エプスタインの死は、不注意な過剰服用によるカルブリタール中毒が原因であると。

 審問会の判定は、エプスタインの死が偶発的な“事故死”であることに疑問の余地はないというものであった。
 エプスタインの友人たちも、納得せざるを得なかった。

 もし自殺ならば、一度に大量摂取するはずだが、彼の場合、そうした兆候は見られなかった。ただ、薬を飲むことに慣れてしまい、「不注意な投薬量の増加」傾向があったのは確かだった。
 おそらく、薬の影響で注意力散漫な状態になり、致命的な漸加蓄積が起こったのだろう。

 しかし、それでもなお、いわく言い難い疑問は残った。
 それは、ブライアン・エプスタインが、常に周囲の予想を超えた行動をとる人物だったということに過ぎないのかも知れないのだが…。

 

 

 

 

 

“偉大なる魂”の教え…


 エプスタインが亡くなった当時、ビートルズはマハリシの「超越的瞑想」に夢中になっていた。
 この「超越的瞑想」とはなんであるのか。

 ある時期、間違いなくビートルズに影響を及ぼしていたと思われるマハリシとは、一体いかなる人物なのか。

 エプスタインの死をその当時のリンゴは、このように答えている。

 「僕たちはマハリシから悲しんではいけないと教えられた。エプスタインの魂が、僕たちの感情を感じるとるから…。僕たちが幸せになろうとすれば、エプスタインもまた幸せになれる。でも、重要なのは自分本位にならないことなんだ。悲しくて落ち込んでしまったら、それは自己憐憫にすぎない。それは何かを失った自分自身に同情しているにすぎないんだ」

 私などは、これは、本当にあのリンゴが言った言葉なのだろうかと疑問に思ってしまうのであるが、雑誌記者のインタビューに答えたものとして記録に残っている。
 しかし、こうした態度では、エプスタインの家族から、ビートルズの態度があまりにも冷た過ぎるというふうに思われたのも致し方ないかも知れない。
 マハリシの超越的瞑想は、なるほど世間的な常識を超越していることは間違いない。

 リンゴは、エプスタインに対して、他の3人とはまた違った感情を持っていただろう。
 ピート・ベストをクビにして、新しく加わったリンゴは、エプスタインには特別な思いがあったとしても不思議ではない。
 当時、リンゴに向けられたかもしれない怨嗟の声は、ほとんどエプスタインがかぶったのである。

 「すごく誠実な男だった。エプスタインには感謝したいことが山のようにあるんだ」

 そうした気持ちが、エプスタイン家の人々に素直に伝わらなかったとしたら、まったく残念なことではないか。

 エプスタインは、ビートルズが熱心にその教えを学んでいたマハリシというインドの僧侶を信用していたとは思えない。
 彼には、ビートルズのように長期休暇をとるといった選択肢はなかった。
 ビートルズが再び活動を再開するまで、彼は、いつでもそれに対応できるように気配りしていなければならなかったのである。

 ビートルズの中で、おそらくもっとも自己本位ではなかったリンゴは、かなり熱心にマハリシの教えに耳を傾けている。

 「あのころ、僕は自分について、僕の存在とは一体何なのか、そして世界とはなんなのか、いろいろ考えていたんだ」

 ビートルズの一員になるや、普通ではあり得ないほどのスピードで、頂点に上りつめてしまった若者としては、当然のことだったのかも知れない。
 リンゴとモーリン(当時の妻)、ポールとジェーン(かつての恋人)が、既に、ジョージとパティ(当時の妻)、そしてとジョンとシンシア(当時の妻)が滞在していたマハリシの瞑想道場に着いた時、“涅槃”を目指すために、信じがたいほど多くの人々がやってきていた。
 それぞれが、自分たちにとって新しい教えが、なにか特別なものをもたらしてくれるのではないかと信じていたのである。
 ジェーンやシンシアは、この宗教体験が、冷えつつある恋人あるいは夫との仲を戻すチャンスになるのではないかと考えたのではないかと、あとから言われている。
 有名人としては、女優のミア・ファーロー、ビーチ・ボーイズのマイク・ラブ等も参加している。

 ちなみに、当時、ジョンが作った曲に「ディア・プルーデンス」というのがある。
 これは引きこもりだったミア・ファーローの妹のことを歌ったものだと言われているが、おそらく曲づくりのヒントを得たというほどの意味ではなかろうか。


 マハリシの教えが、なぜそのように多くの人々の注目を浴びたのかは興味深い。
 それはマハリシの教え方が、ある意味で西欧的だった…あるいは西欧人に受け入れやすいものだったということがあったと言えそうである。

 1918年生まれのマヘシ・プラサド・バルマーは、アラハバード大学を物理学の学位をとって卒業という意外な経歴の持ち主である。
 その後、彼は、13年間、サンスクリット語と聖典を学ぶ。
 そして1959年、自ら「マハリシ」と称した…。
 もともとは前述のとおり「マヘシ・プラサド・バルマー」という名前である。
 彼の名乗った「マハリシ」は、「偉大なる魂」という意味だという。
 私のようなヘソ曲がりは、それだけで、なんだかな…と思ってしまうが、そんなことは気にならない寛容な人々によって、彼は支えられていった。
 彼の主催する会には、英国人だけで1万人以上(当時)の会員がいた。
 そこで、マハリシの教えを実行すれば、生産力の向上、睡眠時間の減少、あらゆる識別能力の明晰化等々を約束していたという。
 毎日、短時間の瞑想をするだけで、自我を少なくし、悪を減らし…まあ、要するに最終的には、純粋至福体験状態に到達するのだという…。

 ビートルズの中では、ジョージが最初にこれに興味を示した。(きっかけは、パティだったようだ)
 ジョージ夫妻が絶賛したマハリシの教えに他のビートルズも関心を寄せた。

 マハリシの講演を聴き終えた、彼らはマハリシを引き留め、長時間話をしている。
 そしてついには、そのまま、バンゴアのリゾート地にある大学施設で行われる「10日間入門コース」に参加することになるのだ。

 彼らはエプスタインを電話で誘おうとしたが、彼には先約があった。
 果たして、用事がなければ、エプスタインは参加したろうか。
 甚だ疑問である。

 ビートルズが、思いつくままに電話し、誘った結果、ミック・ジャガーやマリアンヌ・フェイスフルといった顔ぶれがこの入門コースに参加することになる。

 今からすると、なんだかあやしい雰囲気である。
 このときのマスコミも、まさにそのとおりだった。彼らの行動は、ほんの気まぐれにしか受け取られなかった。
 ただ、この話題はマスコミにとって、ネタとしてはいかにも魅力的だった。
 そのせいで、大勢のマスコミが彼らの周囲に群がることになる。

 だが、ビートルズは真剣だった。
 彼らに従った友人たちも、少なくともなんらかの期待をもっていたこと間違いなかっただろう。

 そして、この体験中に、“最悪のニュース”が飛び込んできたのである。

 彼らがマハリシの言葉の教えにしたがって、“悲しまないように”しようとしたのは、自然なことだった。
 マスコミ向けの言葉は、マハリシに教わった言葉を言うしかなかったのだ。


 だが、もっとも真剣にマハリシの言葉を聞いていたはずのジョージも、後にはこう語っているのだ。

 「どうしていいかわからなかった。僕らは迷子になってしまったんだ」






 

 

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