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 「プリーズ・プリーズ・ミー」の成功で、ビートルズは全国区の人気を得るようになるが、その前には旅公演があった。
 ヘレン・シャピロ等をメインとするコンサートツアーである。

 ビートルズの一員となったリンゴ・スターは、旅には慣れていたが、いきなりビートルズとして旅行するわけである。不安がないはずがなかった。

 「彼らはお互いに知り合っていたから、問題はないわけだけど、僕はなにしろ初めてだからね。ホテルに着いたとき、だれと一緒になるか心配だった。たいていはジョンがジョージと一緒の部屋に泊まることになった。僕はポールと一緒の部屋だった。まったく無用の心配だったけどね」

 「旅公演の5週間で体重が42ポンドも減りましたよ。本当なんです。154ポンドから112ポンドにまで体重が減ったんです。それこそ寝食を忘れて仕事をしなければなりませんでした」

 これはロード・マネジャーのニール・アスピノールの言葉である。
 リバプールでなら勝手がわかるのだが、旅に出るとなると、毎日、毎日、新たな難問が出てくるのであった。

 ビートルズに怒鳴られるのは、いつも彼だった。
 ホテル、劇場、ステージ上のすべてのこと、また、詰めかけるファン対策も彼がこなしていた。
 しかし、ついにはどうしようもなくなり、キャバン・クラブの用心棒だったマルカム・エバンスが呼ばれて、共にロードマネジャーとしての仕事をこなすようになる。

 マルカム・エバンスは電信関係のエンジニアだったが、いつの間にかキャバン・クラブの用心棒になっていたという人物である。
 用心棒という言い方がまずければ、雑用係でもいい。
 彼は、エンジニアとしてまったく生活に不安がない日々を送っていたのであるが、たまたま、いつもとは違う道を通って帰宅しようとしたことが、人生を変えることになった。

 「それまでは気にもとめていなかった通りを歩いてみたんです。そこで私は『キャバン・クラブ』という店に入ってみました。クラブなんてそれまでに一度も入ったことがなかったんですが」

 それ以来、彼はキャバン・クラブに足繁く通い、用心棒になっていたのだった。
 もちろん、仕事を終えてからのアルバイトのようなものである。
 彼は、結婚して子どもが1人。
 新築の家のローンを返済しつつ、人生プランも立てて、誰が見ても文句のつけようのない人生を歩んでいたのである。
 ただ、とにかくキャバン・クラブに係わっていることが気に入っていたのだ。
 3カ月ほどしたところで、エプスタインから今の仕事を辞めてロード・マネジャーにならないかという話をもちかけられた。
 セカンド・ロード・マネジャーとして、次の予定地に先乗りして、ビートルズがつく前に楽器の準備とテストをしておくというのが仕事だった。当地での公演が終わると、今度は、荷物をまとめ、次の予定地に向かう…。

 しかし、最初の頃は失敗ばかりしている。
 結局、エプスタインがこの男なら信頼できるとして雇ったのだろうが、エンジニアだった男が、いきなり転身したのだから失敗するのも当然といえば当然だった。

 「楽器のことなんか何も知りませんでした。最初はニールが手伝ってくれたんですが、1人でやらなきゃならなくなった日には、どうしていいのかわからなくなってしまって、ほかのグループのドラマーに頼みました」

 要するに、ドラムをセットする必要があるわけである。
 しかし、そのセッティングなど、素人がいきなり任せられたら、誰だって立ち往生してしまうのではなかろうか。
 彼は、ドラマーにはそれぞれのセッティングがあるということも知らなかった。
 結局、その時、シンバルの高さが違っていて、リンゴには使えなかったのである。

 さらに大変だったのは押し寄せるファンの攻勢だった。
 次第に、ビートルズの人気は尋常なものではなくなって行くのだ。
 彼らは、まるでストーカーのような心理状態である。
 つまり、ビートルズも自分に会いたがっている。自分が会わなければ悲しむだろうというものだ。

 リバプールでは、レノン、マッカートニー、ハリソンといったビートルズと同じ姓の家で、突如として電話のベルが鳴り出した。
 電話帳を調べて、片っ端から電話するファンがいたのである。

 当然ながらビートルズの家族は、大変なことになっていた。
 勝手にどんどんファン達が押し寄せてくるのである。
 最初から一貫して、これを喜んだのはジョージの母ルイーズ・ハリソンくらいなもので、ほかの家族はウンザリしてしまったというのが現実だった。

 ジム・マッカートニーが異変を感じたのも電話からだった。
 最初は、ひっきりなしにかかってくる電話にいちいち対応していたというからご苦労なことであった。なにか緊急なことがあっては大変だと考えたのだという。
 そのうち、ファンは家にまでやってくる。
 やはり最初のうちは、遠くからよく訪ねてくれましたといって、いちいち家に入れていたという。

 ミミの場合はどうであろう。
 ジョンが、いつか夢破れて家に帰ってくると信じていた彼女も、次から次へとやってくるファンにいちいち対応していたようなのである。

 彼女はジョンの古い持ち物をファンに分け与えていた。
 だが、ある日、体調を崩して2階で休んでいたことがあった。
 医師に電話をしていたので、裏口には鍵はかけていなかったのである。
 ところが、階下で音がする。
 強盗に入られたと思ったミミが階下をみると、2人の女の子が勝手に入り込んでいたのだった。
 これまで述べてきたミミの性格からすればお分かりだろう。
 彼女は激怒し、出て行けと叫ぶ。
 2人の女の子は、出て行ったのだが、何と勝手口の鍵を盗んでいったのだという。

 この事件のあと、ミミはリバプールを離れる決心をしたのだった。


 リンゴの母エルシーと義父のハリーの場合は、突然の環境の変化に戸惑い、恐れた例である。
 郵便箱は盗まれる、ドアは削り取られる、持っていくものがなければ、ドアや窓ガラスにペンキで文字を描かれるという有り様だった。
 ついに耐えられなくなって引っ越すのだが、それまでには、やってきたファンにリンゴが使用した靴や靴下、シャツその他なんでもかんでも、くれと言われれば与えていたのだそうだ。

 ちなみに、リンゴに係わっては、なんとも奇妙な話がある。

 中学時代、リンゴはそのほとんどの期間を病院で送っていたことは述べたとおりである。就職のために書類を貰いに行ったときは、彼の顔を覚えていた者は誰もいなかった。
 ところが、不思議なことに、彼の使用した机と椅子だけは覚えていたという話…。

 リンゴの通ったその中学校では、「リンゴ・スターが使っていた」という机と椅子を持ち出して、それに座って写真を撮る人から、何がしかの金銭を徴収したのである…。







友情…

 クオリーメンからビートルズになり、成功したジョン・レノン…。
 ところで、ジョンと幼なじみの悪ガキ、あのピート・ショットンのその後はどんなものだったのだろう。

 ジョンは自分が悪かったことで、遊び仲間のピート・ショットンの人生まで狂わせてしまったと言っていた……。
 ピートはジョンと同様、勉強はまったくせず、いたずらばかりに明け暮れていた。反抗的で、集団にはとけ込めず…。
 ピートはジョンと一緒にクオリーメンとしてやっていたが、ポールが入り、ジョージが入りすると、もともとジョンに誘われて始めたこともあって、途中で脱退している。
 やめてからも、ジョンとは親友であり続けた。
 元クオリーメンとしてジョンたちの演奏を聴き、その時の会場の雰囲気はどうであったか等々…報告したりしていた。
 だが、中学の進級試験にはことごとく落第してしまう。
 当然、彼はもう学校にとどまることはできなかった。
 悪いことばかりしていたピートは、果たしてまともに職に就くことができたのだろうか。

 驚いたことに、この後、彼は警察学校に入学している。
 彼の母親が、警察学校のパンフレットなどを持ってきて、彼に薦めたのだそうだ。
 1957年、16歳のピート・ショットンはリバプール警察学校に入学。

 この学校に入った動機は何かというと、彼も自分でよくわかっていなかったようだ。
 世間体を気にしていたピートの母は、とにかくちゃんとした仕事に就けるようにということで薦めたのだが、ピートは母が持ってきたパンフレットが、お気に召したようだ。
 それには、ビリヤードをしたり水泳をしたりボクシングをやっている訓練生の日々の様子が写真で紹介されていたのである。

 「警察学校は学生生活をまだやれるような感じで、楽しめると思ったんだよ」

 入学後、ピートはそこで生き生きとした2年間を過ごすことができた。
 スポーツが得意だった彼は、大いに“学生生活”をエンジョイしたようなのである。
 警察学校は、ポール・マッカートニーの自宅の裏側にあったという。
 相変わらずジョンとの付き合いは続いた。
 クオリーメンの機材運びを手伝うなどしていたが、お節介な人がいて、警察学校の生徒がキャバンとかいう汚い場所で、長髪の不良たちと付き合っているとチクられて、ピートはキャバン・クラブへの出入りを禁じられている。
 だが、それで、はい、そうですかとなるピート君ではなかった。
 相変わらず彼は、キャバン・クラブへ通っていた。さすがにバレないように気をつけたというが、そんなことはピートにしてみれは、簡単なことだったのだろう。

 1959年。ピート・ショットンは警察学校を無事卒業。
 あの悪ガキのピートは晴れて警察官になれるわけである。

 卒業式が行われ、ピートは他の卒業生同様、粛々とグラウンドを行進していた。
 ふと気がつくと、ポールの自宅の裏庭にある洗濯場の屋根の上で、バケツとモップを持ち、卒業生に合わせて行進のまねをしている2人が目に入った。
 ジョンとポールだった。
 警察学校の厳粛な卒業式の最中のピートを笑わせようとしていたのである。

 「笑いをこらえるのに死ぬ思いをしたよ。ちゃんと行進しないといけないからね」

 こうして警察官になったピートは、リバプールでも最も危険な地区を巡回することなる。
 だが、ピート・ショットンの警察官としての勤務実績は、9カ月だった。
 仕事となると、全然楽しくなかったのだという。
 楽しさを求めて警察学校に入ったまではよかったが、やはり彼には、初めから向いていない職業だったというべきなのだろう。

 彼は、ジョンたちと一緒に出入りしていたオランダ人が経営していた店で働くことになった。
 形の上では共同経営者ということであったが、まったく出資していないのだから、要するに雇われたと同じだった。
 楽しさを求めていたピートにこの仕事はピタリだった。
 この頃、彼はジョンの友だちだったあのスチュアート・サトクリフとも知り合いになっている。
 彼が見たスチュアートも、やはり“ものすごい才能のあるアーティスト”という印象だったという。
 ジョンは自分がやりたいことを親友にもやらせる男だから、スチュアートが音楽をやったのもそういうことなのだろうと彼は分析している。

 やがて、ジョンはハンブルグで出かけることになるのだが、何度か目には、ピートを誘っている。
 しかし、ジョンとしても、まだその頃は、演奏して得た金をそのまま使ってしまうような生活だったから、ピートに金を出すまでのことはできなかった。
 ピートは仕事を続けなければならないと断っているが、金銭的な問題もあったのではなかろうか。

 ある日、ピートは、妻とともに南部にある姉妹の家にいた。
 そこでラジオを聴いていると…

 「突然、17位に新登場という紹介で『ラブ・ミー・ドウ』がかかった。僕はトップ20に入るアーティストは全部スターだと思っていたから、とても信じられなかった。あのビートルズがスターだなんて」

 アルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」が発売されたときには、ミミのいた家に彼は招かれた。ジョンは、幼なじみの悪友と一緒にこのレコードを何度も何度も聴いたのだ。

 「ジョンはものすごく興奮していた。最高だよ、最高だよと連発していたよ」

 おそらく、ジョンにとって、一番自分の気持ちを素直に表わせる相手は、やはりピート・ショットンだったのだろう。

 このあとジョンは、子供のころから描きためていたイラストを一緒に整理する仕事をピートに頼む。その時、ピートの仕事の話などを聴いた後、クリスマス・プレゼントだと言ってピートに茶色い封筒を差し出した。

 「ジョンの給料袋で、開封していなかった。貰えないって言ったんだけど、どうってことないから受け取れよと言われたんだ」

 翌日、開けてみると、5ポンド札が10枚。50ポンド入っていた。
 この頃、ピートの週給は10ポンドだったから彼にとっては大金である。

 しばらくして、イラストを中心としたジョンの本が出版されることになった。
 ピートはイラストの整理を頼まれた理由がやっとわかった。

 校正刷りの段階のものを見せながら、“最初に作品を見てくれたピートに捧ぐ”と書くつもりだとジョンは語っていた。
 結局、ミミが気分を損ねると困るからというので、それはとりやめられるのだが。

 「最初のページに載っていたのはカーリー・ヘアの少年のイラストだった。頭と手にへんてこな鳥を乗せている縮れっ毛の少年。あれは僕なんだよ。ジョン流のやり方であの本を僕に捧げてくれたんだ。ミミのご機嫌を損ねないようにしてね。本当に嬉しかったよ」(ピート・ショットン)


 

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