ビートルズとエプスタインとの関係は、揺るぎないものになるのだが、それは皮肉なことに、あのピート・ベストの解雇に絡んで、エプスタインが悪者となり、リバプール中の憎悪の的となり、エプスタイン自身ひどく気づいたという一件から、より強固なものとなったようであった。

 ビートルズは、エプスタインの性的傾向にはすぐに気づいたという。しかし、そのことについて彼らは何もふれなかった。

 ビートルズは、エプスタインが、自分たちと一緒にいるときには、けして裕福な暮らしをしている人間だということを見せつけようとはせず、むしろそれを隠すようにしていたことにも気づいていたのだ。

 すでに述べたようにビートルズは、エプスタインに対して、かなり辛辣なジョークを浴びせかけていたのだが、プライベートな部分には触れようとはしなかった。そのことはエプスタインを感激させるに十分だった。

 

 一方で、エプスタインは、相変わらず女性との付き合いを続けている。
 それは、ある意味で“隠れみの”のようなものだと見る向きも多かったのだが、必ずしもそうとばかりはいえなかった。
 エプスタインは、自分がホモセクシャルであると家族に告白したあの日からも、多くの女性と交際をしている。
 生まれついての彼の魅力は女性を魅了するに十分なものがあった。
 彼についての“よくない噂”を耳にしたとしても、実際、目の前にいるエプスタインは、ハンサムで、物静かで完璧なクイーンズ・イングリッシュで語りかけてくる。

 彼と交際があったことが知られている女性たちは、当時を回想して、一様に、彼がヘテロセクシャル(異性愛)でなかったとは信じられないと言う。パーティーでの彼は、外見とは違って内気な人間とは思えなかった。非常に気さくな感じであり、何人もの女性と付き合いのある男性だと思わせたのである。
 エプスタインといると落ち着いた気分になれたし、くつろげたという。
 それだけなら、リバプールのツッパリ野郎さえも“籠絡”させた実力がものを言ったのだろうと考えられるが、女性たちは、彼と会うとセクシーな気分になれたというのだ。

 「彼は、とても落ち着いていて、自信たっぷりだった。私は彼のことを素晴らしいと思ったのよ」

 エプスタインについてよく知っている者の中には、お節介にも、彼の性的傾向を知らせるも人間もいたのだが、エプスタインの魅力は、そんな言葉がまったくの冗談だと思わせるほどのものだった。
 ただ、自分の思い通りにいかない場合、意外に短気だと思わせる一面はあったという…。


 几帳面な彼の性格は、ビートルズに対してもまったく同じだった。
 とりわけ時間に対する彼のこだわりは、ビートルズを戸惑わせた。
 約束の時間に少しでも遅れると、大騒ぎとなった。
 彼がビートルズに求めたものは、結束力と几帳面さだったのである。

 だが、若い彼らの行動に、エプスタインは悩まされることになる。
 ある日、ジョンが彼に告げるのだ。
 付き合っていたシンシア・パウエルが妊娠したので、結婚しなければならないと。
 エプスタインは、それを口外することを禁じた。
 ビートルズは、身近な存在と思われなければならないと考えていた彼は、この結婚はなんとしても隠しておきたかったはずだ。だが、隠しておいてバレたときのことを考えれば、とにかく最善の方法をとらなければならなかった。
 彼は、1962年8月23日にリバプールの登記所で2人の結婚式を行った。すべてはエプスタインが取り仕切った。
 2人には、エプスタインのフラットを新居として無料提供した。
 ビートルズのリーダー的立場であるジョンが、シンシアの住んでいた質素で狭い部屋に住まうということは、避けなければならなかったのだ。

 1つの問題が終えると、またさらなる問題が待ち受けていた。
 今度は、ポールの恋人の問題だ。
 お相手は、リンゴがいたバンドのリーダー、ロリー・ストームの妹だった。
 彼女はダンスを学んでおり、ビートルズと一緒に出かけることもあったのである。
 エプスタインは、ジョンの結婚から、ポールについては先手を打つ必要があると考えていたようだった。
 エプスタインは、これはひた隠しに隠す。
 どこまでも慎重で用心深い彼の性格からすれば、ビートルズの人気に影を差すものは封印しておきたかったのだろう。

 だが、このあとにとったエプスタインの行動は、そんな慎重な彼としては、不注意といってもいい結果をもたらすのである。


 1963年4月8日、シンシアは男の子を出産。
 エプスタインが名付け親となり、ジュリアンと命名される。
 忙しく働きづめのジョンが、子どものいる家にいるのでは休養とはならないだろうと考えたエプスタインは、ジョンをスペイン旅行に誘うのである。
 シンシアは、この申し出を喜んだ。
 赤ん坊がいる生活に慣れるための1人の時間がもてるだろう。
 ジョンも、休養のためには、エプスタインの申し出は好都合だと考えた。
 かくて、4月28日から12日間の休暇は、スペインで過ごされることになるわけである。
 だが、あらゆることを考え、注意深く行動するエプスタインにしては、これは大変な間違いだった。
 エプスタインがホモセクシャルであるということは、公然の秘密だ。そのエプスタインとジョンが2人で旅行に出たというニュースは、またたくまにリバプール中に噂となって広まるのである。

 ジョン・レノンがヘテロセクシャルであることは疑う余地はないと思われたのだが、このことによって、これ以降も、もしや…というふうにいわれることになったのは事実だった。
 だからポール・マッカートニーは、ジョンとは同じ部屋で何度も寝たけれど、そんな兆候は一切なかったと“証言”しなければならなかったのである。

 この一件が、すでに述べたジョンの暴力につながる。
 6月18日、21歳になったマッカートニーの誕生日で、ジョンは、ボブ・ウーラーを殴り倒した。

 「奴は、ホモ野郎と侮辱した。だから肋骨をへし折ってやったんだ」

 酒を飲んでいたわけだから、ボブ・ウーラーも冗談のつもりだったのかも知れない。だが、すでに噂が広まっているということを知っていたジョンとしては、当然の反応だったのだろう。

 エプスタインもジョン同様、噂に腹を立てていたが、この事件はなんとかしなければと、ウーラーを病院に運び(文字通りKOされたわけである)、弁護士を通じて相当の金額を支払い、なおかつ、ジョンには謝罪の電報を打たせている。

 現在では、ジョンとエプスタインについて、どうこういう話はほとんど問題にされないが、かつては、幾度となく、この噂話は再燃されている。

 だが、エプスタインの秘書だったウェンディー・ハンソンによる言葉は、2人の噂をあっけらかんと否定するものだ。

 「ブライアンは、とても繊細な人でした。自分を押しつけるような人ではありません。それにジョンは絶対にゲイじゃありませんでした。彼は女たらしでしたもの」

 伝説の人、ジョン・レノンも、当時を知る者に言わせると、ただの男というわけである。

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