ジョージ・マーティンは、自分が高く評価したビートルズがEMIでは、評価されなかったと述べている。
 それどころか、彼によって、このグループとEMIが契約したことにすらトップは批判的だった。
 宣伝部長は保守的な考え方の持ち主であり、今までにない可能性を秘めているこのグループに、何の将来性も見いだせなかったのである。
 だから、ビートルズのデビュー曲「ラブ・ミー・ドウ」は、ほとんどヒットさせようという努力がなされていなかった。
 レコードをヒットさせるためには、当然、大変な企業努力が必要であり、全国的に宣伝するには、かなりの出費を覚悟せねばならない。その決断をするには、当時の宣伝部長はあまりにも保守的過ぎた。
 「ラブ・ミー・ドウ」は、ラジオのオン・エアさえ、ごく限定されたものでしかなかったのである。

 ブライアン・エプスタインは、ほとんど宣伝しようともしないEMIに失望していた。
 そこで彼は、ビートルズの次の曲は出版社に話を持ちかけて、そこで宣伝してもらうようにしたいとジョージ・マーティンに相談する。
 ジョージ・マーティンもEMIの宣伝部門が、ほとんど何もしていないことを知っており、エプスタインの話に驚くことなく、むしろ積極的なアドバイスをしている。

 「アメリカの会社よりもイギリスの会社のほうがいいよ。できれば、とてもハングリーな人間、君のために一生懸命やってくれるところがね」

 エプスタインが考えていたのは、プレスリーの曲を出版していたヒル&レンジ社であり、そのことを告げると、

 「ヒル&レンジは、君がいなくても全然困らない。彼らにはエルビス・プレスリーがいるから、君はきっと重要視してくれないと思うよ」

 エプスタインは、ヒル&レンジのほかに、これといった心当たりがなかった。
 どこまでもビートルズに幸運をもたらすジョージ・マーティンは、2〜3の出版社を紹介する。
 そのうち、2人はアメリカの出版社の人間であり、1人はまったくイギリス資本の出版社で、ディック・ジェイムズという男が経営する出版社だった。

 ディック・ジェイムズは、ジョージ・マーティンとは親しい間柄であった。
 ビートルズのデビューにふさわしい曲をマーティンが探していたときに、それを提供したのはほかならぬジェイムズだった。
 彼は、元歌手であり、テレビドラマの主題歌をヒットさせたこともあるのだが、その時にレコーディング・プロデューサーだったのがジョージ・マーティンというわけで、信頼関係は確固たるものがあった。
 だから、ジェイムズは、ジョージ・マーティンから電話がきたときに、そのグループが素晴らしいことは間違いないとすでに信用していたのである。


 エプスタインは、自分なりに話を進めていた。
 彼は、EMI傘下の子会社である出版社の幹部に会う約束を取り付けていたのである。
 ところが、上機嫌で約束の時間に会社を訪れたエプスタインは、30分近くも待たされる。約束を守れない人間ではダメだと判断した彼は、秘書にその旨を伝え、その足でディック・ジェイムズの会社に向かうのだ。

 エプスタインは、最初にビートルズを売り込み始めたときも、同時並行で複数の会社に話を持ちかけている。危うい綱渡りのような方法だが、相変わらず、そうした方法をとっていたわけである。
 ジョージ・マーティンに紹介された出版社のうちで、ディック・ジェイムズだけがイギリスの会社であり、ジェイムズが元歌手だったという経歴から、エプスタインは、ほかに紹介された会社は無視し、ディック・ジェイムズにだけ連絡をとっていた。

 ディック・ジェイムズのオフィスには、約束の時間より随分早く着いてしまう。
 時間に几帳面なエプスタインは、受付で恐縮しつつ、「ここで待たせていただけますか」述べた。
 受付の女性がジェイムズに連絡すると、オフィスからジェイムズ本人が、待っていましたとばかりに現われ、笑顔で彼を迎えたのだった。

 ディック・ジェイムズは、元はそれなりのヒット曲も出している歌手だった。
 その一方で、曲づくりにも係わり、やはりヒット曲を生み出している。
 ちょうど1年前に、現役を引退し、出版社として独立したばかりだった。
 44歳の彼は、まさにハングリーな状態だったのである。

 エプスタインと会い、すぐに、できたばかりのシングルレコード「プリーズ・プリーズ・ミー」を聴き終えたジェイムズは、興奮していた。
 彼もまた、ヒット曲を見いだす才能にたけた男だったのだ。

 エプスタインは長期契約の話を持ちかける。
 これから、話は急展開で進み始めた。

 「プリーズ・プリーズ・ミー」が間違いなくナンバーワンになると信じたジェイムズは、その場で電話をかけるのだ。
 元歌手だった彼は、各方面に友人知人がいた。
 彼が電話した相手は、フィリップ・ジョーンズ。テレビ番組のプロデューサーだった。
 ジェイムズは、リバプール出身の素晴らしいグループがいる。彼らを土曜のショーに出演させてくれないかと頼むのである。
 友人とはいえ、ジョーンズにはジョーンズのポリシーがあった。
 自分で確かめるまでは、予定を変えてまで出演させるわけにはいかないという返事だった。
 そこで、ジェイムズがとった行動は、いかに彼が「プリーズ・プリーズ・ミー」に感激したかを物語るものと言えるだろう。
 彼は、電話を通して、曲を聴かせたのである。

 曲を聴き終えた友人は答えた。

 「サウンドはとてもいいようだ……。
 OK。今週の土曜のショーに出演させよう」

 電話を終えたジェイムズが振り向き、エプスタインに言う。

 「土曜の予定が空いているか確認してくれ。テレビに出られるんだ!」


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